では、いよいよ本格的に「上杉禅秀の乱」に入ろう。この乱は、前回も最後にその触り部分を書いた通り、応永22年(1415年)4月、鎌倉公方四代・足利持氏による、越幡六郎への処分がキッカケとされる。この「越幡六郎」の出自らしきは後に書くが、何しろ病気…
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