ぽぽたんブログ

武蔵豊島氏(石神井城・練馬城)

「豊島氏」を際立たせる「縦糸」と「横糸」

本題前の前振りを、パパパと済ませたので、後はノンビリ行かせて貰おうかと思います(^^ゞ。

じゃ、そろそろ本題に入りますよ(^o^)<まずは準備体操~♪

豊島氏については、横糸と縦糸の両方から迫るのが良いと思う。

その理由は、豊島氏本体だけで語るには、あまりにマイナーだからだ(^_^;)。
長く続いた氏族でした。太田道灌と戦って滅亡しました。その後の消息はわかりません。
↑これだけで史料館の設立は厳しい(^_^;)。

ただ、それなら豊島氏の存在価値は、色々かき集めないと無い程、希薄な物かと言えば……、

その捉え方こそ、東京の歴史を地に貶めて来たと知るべし!
と強く言いたい。

てゆうか、幾ら有名でも、伊達政宗とか武田信玄とか真田昌幸とか、戦国武将はいっぱい居過ぎて、博物館を作った所で、どれも似たような味しか出せないんだよね(^_^;)。

それと、何だか、としまえんの跡地活用については、区のみならず、都にも計画の幅が及んでるやに聞く。

「都」となると、日本国の首都である。
そういう立場で建てる歴史資料館なら、区民会館に一室を構える児童図書館クラスの展示に抑えるのでいいだろうか?

その点、現在の所、これより示す、縦糸と横糸の織り成す世界観を現在に伝えている歴史資料館は、全国探しても無かろうと思う。

横糸」は、練馬城石神井だ。
この跡地が今でも東京都練馬区に残り、地名として伝わっている以上、この城の城主としての豊島氏の姿が、土地と土地に住まう住民にとって、もっとも重要である。
となると、太田道灌に攻め滅ぼされた室町~戦国時代が「横糸」になる。

一方の「縦糸」は、代々の豊島氏の軌跡である。
平安時代に関東地方に下った、桓武天皇の子孫・高望王から始まり、やがて枝分かれし、豊島氏として東京(武蔵国)に基盤を張り、城が落城した後、江戸期に文献に現れる「豊島」姓の末裔らしきに至る、先祖から子孫へと続く時間、これが「縦糸」だろう。

ただ……残念ながら、道灌との戦い(江古田沼袋の乱・石神井落城)に名の出る「豊島泰経」と、江戸期に名を顕わす「豊島氏」とは、系譜に繋がりがある事が確実視されてないみたい(^_^;)。

そこが繋がらないと、どういう弊害があるかと言うと……。

普通、戦国期の城跡は、江戸期に入って廃城となっている物が多い。
平城ならともかく、山城で江戸期も残った物は殆ど無いんじゃないかな(^_^;)。
私の知る限り、岡山県備中松山城なんかは維持されたみたいだけど、後は殆ど聞かないですね。

しかしそれは「城」の話であって、中に住んでた一族の系譜が保たれていれば、何とかかんとか現在に「〇〇城跡公園」みたいのが復興され、子孫筋の人とかが、そこの名誉城主サンみたいなノリで、祭りに加わったりなんかするのよ(^o^)。

戦国期を通して生き残った武家は、江戸期に子孫が絶え切ってしまわなければ、維新まで何となく系譜を続けてるものだ。
男系が絶えても女系に婿取りするし、それも絶えても、傍系に伝わる血筋から養子を取ってくればいいからだ。

豊島氏は戦国期初盤で滅んでしまったから、土地に、昔を懐かしむ子孫や、それを取り囲む地元意識が根付かなかったのかなー、と現状を見ると思う。
(他にも事情があるかもしれないけど、これも後で書くかも)

そういうのが残ってる土地はどうかと言うと、お殿様の家系が結婚などすると、奥さんやお子さんも連れて「お国入り」みたいな感じになって、そこの一年に一度の「〇〇祭り」を盛り立てに来てくれたり、地域の新聞や広報誌に寄稿したり、自分でサイト発足して家伝の歴史だとか書いて、集客を手伝ってくれたりする(^^ゞ。

殿様ばかりではない。
城下町に形成された商店とか工場の子孫の人らが、城跡を中心に、今でも市場展開してたりして、祭り開催の養分になっている。
特に造り酒屋なんてのは、地元の殿様の苗字をそのままお酒の名前にしてて、遠くからネットで取り寄せるファンがいる話も聞いた事がある。

豊島氏も「照姫祭り」つーのをやってるらしい。
お姫様役を一般から公募してるのかな?
各地域の「殿様祭り」「お姫様祭り」「軍団祭り」が、近年の歴女ブームに先駆けて流行し、定着の感があるので、今は特に子孫にこだわらなくてもイケルんじゃないかと(^^ゞ。

甲冑はレンタルがあるし、金がアレなら紙段ボールでも作れる(最近はプラスチック素材もあるやに聞く)。

……脱線してるよね(笑)。

ただ、歴史に詳しい事だけが重要なのではなく、今言ったような、他の地域で先に成功した例とかも、今回の問題には少なからず肥やしになる事は間違いないと思う(^_^;)。

歴史サイト運営してると、基本の遣り取りがネットだから、読書量・知識量の多さで、周りの尊敬を集められると思ってる人が多い。
(反面、煙たがられやすい、ともいえるが(^_^;))。

そういう人は、本人も雑事に関心を持たない傾向があり、旅行や温泉、グルメ(郷土料理)の話に関心が薄かったりする。

が、本腰入れて歴史の世界に突入すると、大学や博物館や著名歴史家は、もっぱら「課題」として、「どうやって地域民を巻き込むか」ばかり話す光景によく出会う(爆)。

昨今、日本学術会議の要員任命問題で、論点ズラしに出た政府が、学問者の資質だとかを急いで問題視しはじめたが、ハッキリ言って、20~30年感覚がズレてる(^_^;)。

(当選回数の多さで閣僚入りとか決まるのは、組織のルールや秩序の維持のため、仕方ないと思うが、議員になる前の問題意識や時代感覚が古くなってる事に注意しような)

そういう現実的な視点を交えると、意外と「みんなが楽しめる、季節のアンテナショップ的売店を兼ね整えた、来やすい博物館」というスタイルが、実は今風なのである。

こうした事も折々、必要に思ったら話す事があるかもしれない。
脱線に感じるかもしれないんで、先にお断りしとこうかと(^。^)。

次から、いよいよドップリ歴史ネタに入るよ(`・ω・)=3<覚悟はイイ?